清少納言の鋭い観察眼が光る日本初の随筆集

枕草子



(1)作品について
(2)作者について
(3)『枕草子の由来』





(1)作品について
 『枕草子』は、長いのや短いのを含め300あまりの章段からなる随筆集で、内容によって3つに分類されます。

@類聚(るいじゅう)的章段
一般には「物尽くし」と呼ばれています。「鳥は〜」とか「うつくしきもの〜」とか、それぞれのテーマに応じて作者の感性に触れる物事を列挙し、さらに主観的な解説を加えたものです。

A随筆的章段
自然や人事について、作者の主観的な意見をつづったものです。有名な「春はあけぼの」は、ここに分類されます。

B日記的章段
作者が中宮定子のもとに仕えた間に見聞した出来事を、中宮が亡き後に回想的に記したものです。宮中での生活が生き生きと描かれています。

 つまり、様々なことに関する清少納言の意見が書かれているわけなのですが、その中にはとても鋭い意見などもあり、彼女の注意力や着眼点がすばらしいものだということがわかります。


(2)作者について
 『枕草子』の作者の清少納言は、父親の清原元輔は有名な歌人で『後撰集』の選者の一人でもありました。16〜17歳の頃、橘則光と結婚し、男の子を一人もうけますが、まもなく離婚します。その後、親子ほど年の離れた藤原棟世と再婚します。またその後の993年から一条天皇の中宮定子の下に仕えたと言われています。この頃でも、離婚したり再婚したりと言うことがあったのですね。離婚した橘則光とは、離婚後は兄弟のようだったともいわれており、不思議なものです。


(3)『枕草子』という書名の由来
 『枕草子』という書名の由来と成立については、本人が書いています。清少納言がお仕えしている中宮定子の兄の伊周(これちか)が、天皇と定子に上等な紙をプレゼントしました。天皇はそれに『史記』を書写させ、定子は清少納言に相談を持ちかけました。清少納言は機転を利かせて、「帝が『シキ』ならこちらは『マクラ』でしょう」と答えて、その褒美に中宮から紙をもらって、『枕草子』をつづったということなのです。
 「シキ」と「マクラ」の関係をどう解釈するかについては色々な説がありますが、「シキ」を靴底の「底(しき)」として足に関係するものと見て、「マクラ」は寝具の「枕」で頭に関するものと見る説が有力です。
 紙を褒美にもらうなんて、と思う人がいるかもしれませんが、この時代は紙は貴重品だったんですよ。現代では紙はすぐに手に入りますが、それは木でできており、その資源は限られていますし、昔のように大切に使わなければならないものだなと感じさせられました。

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