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一番隊・沖田総司(おきた そうじ)




新撰組(しんせんぐみ)の一番隊組長(いちばんたいくみちょう)として活躍(かつやく)した人。それが沖田総司(おきた そうじ)です!彼(かれ)が有名(ゆうめい)なのは、とっても剣(けん)の使い方がうまかったからです。そして強かった。そんな彼(かれ)のことをすこしだけお話(はなし)しましょう☆

沖田総司(おきた そうじ)は1842年に、長男(ちょうなん)として生まれました。お姉さんが二人いて、“みつ”と“きん”と言いました。

天然理心流という剣の流派(りゅうは)の道場(どうじょう)である『試衛館(しえいかん)』の近藤周斎(こんどう しゅうさい)先生に弟子(でし)入りしました。そこで、後から新撰組(しんせんぐみ)として一緒(いっしょ)に生きる近藤勇(こんどう いさみ)、土方歳三(ひじかた としぞう)らと出会います。ここでみんなと一緒(いっしょ)に剣が強くなるようにがんばりました。その結果(けっか)、沖田総司(おきた そうじ)は、天然理心流の免許皆伝(めんきょかいでん)といって先生が剣の技法(ぎほう)などについて奥(おく)ふかくまでおしえてくれるという実力(じつりょく)をつけました。
そして池田屋事件(いけだやじけん)や、京都の安全のために働(はたら)くことで活躍(かつやく)しましたが、結核(けっかく)という肺(はい)の病気(びょうき)にかかってしまいます。今だったら、結核(けっかく)という病気(びょうき)はなおすことができますが、そのころはまだできませんでした。そのため沖田総司(おきた そうじ)は、27才という若(わか)さで病気(びょうき)のために、1868年5月30日、この世を去りました。

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