賀茂 忠行、保憲親子
(かものただゆき、やすのり)
平安時代中期に活躍した陰陽師。安倍晴明の師匠でもある。忠行は小さい時から何の修行もせずに
鬼神の見えた保憲の才能を見抜き、立派な陰陽師に育て上げた。保憲が小さい時から鬼神が見えたという話は
今昔物語にも出てきます。
|
晴明の息子吉平、吉昌
(よしひら、よしまさ)
2人とも父である晴明よりも出世し、吉平は従4位上(じゅうよんいのじょう)、吉昌は陰陽頭(おんみょうのとう)にまでなったようです。
この2人は地震を予測したり、日食を予測したという話が残っています。
|
吉備真備
(きびのまきび)
日本における陰陽道の先駆者(せんくしゃ)です。唐(とう:中国)に留学中に陰陽道などの勉強をし、
日本に帰ってきてからは朝廷(ちょうてい)に正式に陰陽道を採用させ、陰陽道に基づいた暦を採用しました。
|

|