甲子園の土は五年で無くなる(笑)

甲子園の土は五年で無くなる(笑)


どうでもいい話〜その参〜




甲子園の土は五年ほどで入れ替えられるようだ。だがどうして五年ごとに土を入れなくてはいけないのだろう?個人的には、高校球児が土を持ち帰りすぎてグラウンドがやせてくるからに違いない!!と思っているのだが。(笑)

練習ばかりの高校生活を送ってきた球児にとって、『甲子園の土』とは一番の宝物なのだろう。負けた選手が、涙を浮かべながら土を集める姿は何度見ても感動ものである。
負けたけどよくがんばったね、来年も楽しみにしているよっとTVにエールを送るのが毎度のことなのだが、ここで疑問に思うことが一つある。
汗と涙と青春と、あと整備のための塩水(どうでもいいことを・・・)がまじった土を持ち帰った球児たちは、どうやって土を保管しているのだろうか?さすがに捨ててはいないだろうが、時間が経つごとにホコリまみれのわけのわからん品物になっている気がする・・・・そう思うのは私だけか?

最近では甲子園の土専用お持ち帰りビンがあるらしい。おもしろいことに「持ち帰り」専用のビンなので、もちろん中身は入っていない。からっぽである。
その名も『夏の甲子園、「記念の土」用の瓶!』
試合のあとこれを手に持ち、泣きながら土をつめる男たち・・・・なんともいえませんね。

甲子園の土を初めて持ち帰った人は、昭和24年夏の甲子園大会での出来事で、小倉北高校 の「福島」という投手が最初の人物らしい。
負けた悔しさから、ホームベースの土をそっとすくいあげる福島投手の感動のショット。それがニュースになって翌年からみんなが真似するようになり、今では拾うのがあたりまえになったようだ。
整備の人間から見れば、この出来事さえなければっっっと思う事件かもしれない(笑)

甲子園の土を初めて持ち帰れなかった高校は、昭和33年に初めて出場できた『沖縄首里高 校』である。この時代、沖縄はまだ日本の領土ではなかったので球児たちはパスポートを持って参加していた。しかし惜しくも一回戦目で負け、最後の記念に大切な土をそっと集めたのだった。
そして、あとは船で沖縄に帰るだけとなったとき、事件は起こったのである。
なんと、『土』の国外持ち出しは植物検疫法にひっかかるため、認められないというのである。球児たちは一生懸命抗議をしたに違いないが、結局は船上から捨てられてしまうのだった・・・・・・・。